2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

メーテルにモデルの女性いた!

メーテルにモデルの女性いた! 松本零士が語る不思議な〝出会い〟

メーテルやスターシアのモデルとなった楠本高子。
切れ長の目が印象的だ(大洲市立大洲博物館提供)

 漫画やテレビアニメで人気を博した「銀河鉄道999」に登場するメーテルや「宇宙戦艦ヤマト」のスターシアには、実はモデルとなった女性がいた! 
それも大阪になじみの…。彼女の名前は「楠本高子」。日本人女性初の産科医で「オランダおいね」として知られる楠本イネの娘だ。
祖父は蘭学の父といわれるフォン・シーボルト。作者の漫画家、松本零士さん(73)は、自身の漫画家人生に大きな影響を与えた高子との不思議な“出会い”について語ってくれた。
(松山支局 黒河仁朗)

 松本さんは小学1年だった昭和19年から20年の終戦まで、愛媛県大洲市の母の実家に疎開していた。後に理想の女性としてメーテルやスターシアなど、切れ長の目で顎の細い女性を描き続けたが、なぜそういう女性を描くのか、自分でもはっきりとは分からなかったという。

 その謎が解けたのは、15年ほど前のこと。同市に暮らす同級生から、明治維新前後に撮影されたとみられる1枚の写真を見せられた。そこに写っていたのが、メーテル、スターシアによく似た細面の若い女性だった。そのときのことを松本さんは「自分が描いてきた女性と気づき、大変な衝撃を受け写真に見入ってしまった」と振り返る。

 写真には20代の初めごろとみられる高子と、夫で大洲藩家中の三瀬(みせ)諸淵(もろぶち)の2人が写っていた。三瀬は、シーボルトの高弟でイネに医学を教えた二宮敬作のおいにあたる。三瀬も二宮から医学を学び、蘭学者の大村益次郎からはオランダ語をならい、シーボルトが幕末の安政6(1859)年に再来日した際には通訳を務めた。

 高子とは慶応2(1866)年に宇和島で結婚。「高子は当初、三瀬との結婚に乗り気でなく、イネが諭したそうです」と松本さんは解説する。

 明治維新後、三瀬は高子をともない大阪に移住し、大阪大学医学部の前身にあたる大阪医学校の教官や大阪病院一等医官を歴任。大阪の西洋医療の礎を築いたが、明治10年に39歳の若さで病死した。

 高子はこの約10年間、夫とともに大阪で暮らした。写真は大阪に来る直前、宇和島で撮影したものと推察される。あのメーテルのような女性が文明開化の明治初期に大阪にいたとは、なんともロマンをかきたてられる話だ。


◇    ◇


 東京都内の自宅で取材に応じた松本さんは、書斎の机の上に高子の写真とスターシアのイラストを並べ「そそとした切れ長の目と細いあごが同じだろう」と指さし、「この写真を初めて見たとき『私が描き続けてきたのは、まさにこの女性だ』と思い、ギョッとしましたよ」と話す。



8f2ccfdb.jpg

「へー」としか言いようがないがw

でも、明治の人にしては、今でも通用するくらいの美人さんだねー
写真写りのせいなのか、昔の女性ってなんだか「原人」的な人が多いんだがw

でもモデルというより、結果的に似た人がいた、という話だよねww
ま、そこはマスコミならではの煽りだよねww

僕も少年時代、メーテルに憧れたよ。
劇場版999は、何度も一人で観に行ったなぁ。

まさに漫画史に残るキャラだね!(≧∇≦)b

Comments

コメントの投稿


非公開コメント

プロフィール

ほどり

  • Author:ほどり
  • アラフォーでメンヘラで失業中ですw
    老後はホームレス!?ww

ランキング

ポチッとな。

カウンター

バナー
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
このブログをリンクに追加する